Небо , море , гори , річки , трава , дерева _
Скелі Хашігуїва в префектурі Вакаяма
Маленький старий монолог
2023.01.19(木曜)
死んだクジラの残したものは
最後の潮と あふれた涙
ほかには何も残さなかった
どこから来たの もう分からない
死んだクジラの残したものは
汚れた海と 戻らぬあした
生まれた海に 帰りたかった
ほかには何も残っていない
…替え歌です。
原曲は谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲
「死んだ男の残したものは」←クリック
森山良子、倍賞千恵子、小室等らがカバーしている。
58年前の歌だけれど、コロナと戦争の今、
あらためて胸にしみる。
ぜひお聞きください。
mRNA接種は即刻止めましょう。
2022.12.31(土曜)
長尾ドクターに感謝
-以下はブログ投稿文-
mRNAワクチン禍で明け暮れ、おまけに戦争禍も加わって明日は新しい2023年を迎える。
目出度くはない。
ただ数ヵ月前に尼崎市の長尾クリニックに出会ったことだけが私のオアシスになった。
パンデミック数ヶ月で日本の感染状況が世界と異なることに気付き、恐怖の暴走と拙速なワクチン開発に反対してきた。
だから結局、孤立した。
古い友人の何人かは去って行った。
去ったものたちや、ほぼ8割の世人は「群れからはみ出すこと」を恐れているようだ。
6割の者は自分で考えず、周りの空気に従う。つねに楽な生き方を選ぶ。
2割の者は悪意で利得に走り、6割を食い物にする。だから世間の常識はいつも軽薄な損得にまつわる。
「mRNAワクチンは百害あって一利なし」同感だ。
「ひとりも死なせへん」これこそ医師の倫理だ。
長尾ドクターの著書は何も読んでいないが、ブログの文脈には、私の尊敬すべき医師たちと同じ水脈がある。
おそらく8割の世人には理解されない。
しかし残りの2割は、いずれ必ず長尾ドクターを理解し、志を同じくすると思う。
2023年はそんな一年になってほしいものだ。
長尾ドクターに感謝申し上げるのはもちろんのこと、
当ブログの投稿者からも多くを学び触発された。
大みそかにこの場を借りて深くお礼申し上げる。
2022.12.21(水曜)
武満徹ソングブックより「死んだ男の残したものは」
…
♪「死んだ男の残したものは
ひとりの妻と ひとりの子ども
ほかには何も残さなかった
墓いしひとつ残さなかった
死んだ女の残したものは
しおれた花と ひとりの子ども
ほかには何も残さなかった
着物一枚残さなかった
死んだ子どもの残したものは
ねじれた足と 乾いたなみだ
ほかには何も残さなかった
思いでひとつ残さなかった
死んだ兵士の残したものは
壊れた銃と ゆがんだ地球
ほかには何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった
死んだ彼らの残したものは
生きてる私 生きてるあなた
ほかには誰も残っていない
ほかには誰も残っていない
死んだ歴史の残したものは
輝くきょうと また来るあした
ほかには何も残っていない
ほかには何も残っていない」♪
…
わたしたちオトナは、子どもたちに対して重い責任がある。
ひとりは微力だが無力ではない。
苦悩する人たちの事実を伝え、広めることはできる。
無為、傍観は罪深いと強く思う。
mRNAワクチンは即刻中止を!
2022.08.30(火曜)
せめて百年の覚醒を
大曲(秋田県おおまがり)の花火も淀川の花火も3年ぶり、空を眺めて瞳を潤ませた人もいるだろう。
上空で菊の大輪が弾けヤナギのように落ちてゆく火流はうつくしい。
闇に輝きそして消える、長くて7~8秒のせつな。
人生80年を3.15億倍に早送りすると8秒になる。そのせつなの生きざまを無数に凝縮させた千年を、花火は一気に弾けて消える。
胸にくるものがある。
これからも百年、千年、ずっと続きますように…それぞれが見上げた空に願う、その思いはかなうだろうか。
同じ瞬間に、爆弾から逃げ惑う人たちがいて、干上がった土地で死んでゆく子供たちもいる。
世界は危うい。
大気は乱れ、海は荒れ、大地は割れる。そのうえに殺戮と憎悪と欲望を重ねる人の愚かさ。
世界はもろい。
死は生の覚醒だと文豪は言う。けれど死者は語らない。
命ははかない。
だから人は花火が消える瞬間に覚醒の断片を見るのかもしれない。
せめて、この百年の歴史から学びさえすれば世界は目覚めるであろうに・・・
2022.08.27(土曜)
ゆでガエルは知っている
きょうも、陽は徐々に南に傾き、夕方の高い空には秋雲も見かけるようになってきた、それでも地面の熱はまだまだ冷めそうにない。
いまは目の前しか見えない、先はなんにも分からない。
大西洋の風は数週間で太平洋に流れてくる。季節は巡っても去年と今年は違う。10年前はもっと違った。
オホーツクも北極海もずいぶんぬるんでいる。同じように見えて、少しづつどこかが変わってゆく。
町の風景に変わりはない、そんな気でいるだけ。実は変わっている。
世間も世界も割れ目が目立ってきた。
氷床が解けるのは不吉な予兆…
いろいろ思いを巡らせると、気分は晴れない。それでも…胸騒ぎをしずめて、目の前だけ見つめて歩く。
健康で食にありつければそれで良しとするか。
でも、なあ…
このままでは、日本も地球も「ゆでガエル」になるんだけどなあ。
知っているのに知らん顔…すべからく、ただの独り言…
2022.08.20(土曜)
「泪より少し冷たきヒヤシンス」夏井いつき
<悲しすぎて泣くことすらできない自分を重ねてか、大好きなこの句をノートに書いてくださいと申し出たファンは、句を口にしたとたん泣き崩れた。誰かの一句が触媒となって別の誰かの「深奥に仕舞われていた感情」を噴きださせることがあると、俳人は言う。十七の音に触れただけで決壊する。過飽和の溶液が微かな刺激で瞬時に結晶化するように。『瓢箪から人生』より。>
A紙に載った鷲田清一氏の折々のことば
あまりに心に残った名文なので一言一句残しておきたい。夏井氏のエッセーも、それを採りあげた鷲尾氏も優しさが溢れている。
2022.08.16(火曜)
ヌートリアも戦後77年
きのう、ひさしぶりに川辺でヌートリアを見た。砂防堰を登ろうと滝の下をウロウロ諦めず往復している。ひと月前に見た同じ個体だろう。やや上流でも1頭いる。今年確認したのはこの生体2頭だけだ。子はいない。
コロナ前には同じ川の3か所できまって繁殖し、子を含め10~20頭ものヌートリアを確認したが、一昨年あたりからほとんど見なくなった。川底の整備などで追われたのかもしれない。
もともと南米原産のネズミの仲間で、その毛皮が飛行服の防寒用裏地として重宝され戦中にフランスから輸入されたとウィキペディアにはある。
また、食べると「ちょ~美味しい」そうだ。酔狂な勇気に感服するが、ヌートリアにとっては迷惑だ。
10年以上前に大阪城の濠で見かけて以来、京都鴨川でも、近隣の池や大きな河川でもしばしば見かけたが、その後各地でどうなったかは知らない。土手を掘りまくって堤防を崩しかねないと害獣扱いされているが、もとは無理やり連行されたのだ。
戦争の道具のために、はるか遠い故郷から移住させられ、毛皮とられまくった挙句に戦後は捨てられ、見知らぬ川をさまよった。人目を避けひたすら日本の田んぼや川を渡り歩き、いく代も世代を重ねたのだろう。
嫌われ追い立てられ人知れずヌートリアだって生きている。俺たちにも戦後77年の苦労があるのだ。
2022.07.29(金曜)
近くて遠いスズメの結界
スズメを餌付けして写真を撮ったのは、ほぼ1年前。あれからこのページは更新していない。
これまでスズメページのカットは静止画だったが、PC表示なら動画の自動再生ができるので、どうせなら動画にしようと、また撮影することにした。
同じ場所、同じ時間帯に、同じ小鳥のエサを撒いたらほどなくスズメたちは集まって来た。
1年ぶりの再会でも彼らは覚えているらしい。こりゃ手間が省ける。
と、早速スマホを固定した三脚を近付けたとたんにみんな一斉に飛んで行ってしまった。三脚が近すぎるのだ。
高い梢からこちらを見ているがなかなか降りてこない。かなり警戒している。
やっとやって来たのがこの二羽だけ。
広角レンズで鈴なりの賑やかな景色を期待したが、残念…また今度。
2022.07.28(木曜)
気にすんなよ
近所に「蛍姫地蔵尊」という小さな祠があり、その脇のベンチでしばしば休憩する。
日が高いうちは誰もいなくて、夕方やって来るのは決まってお婆さん。男性や若い人はまず見ない。
ちょっと自転車を走らせると「亀の森神社」とか「市軸神社」というのもある。こちらは健康祈願や合格祈願など絵馬もかけられ老若男女がやって来る。
「卍」は黄泉の彼方を想い、「鳥居」は神の高みに願いを懸ける、そんなイメージだろう。初詣は神社、クリスマスはキリスト教、お葬式は仏教でも平気…捨てる神も拾う神もたくさんいて、雰囲気で教派をまたぐ日本の庶民性。あいまいでもつつましく安心や幸福を願うささやかな信仰心は尊い。独自性があって大いに結構だと思う。
だがしかし…
霊感商法で巨利をむさぼり、政治家を支援する教団はまさにあさましい。その教団に政治家がお墨付き「祝意」を与え、それで集まった多くの信者が権力を支える。互いの利己主義を補完しあうなんと狡猾なシステム。信仰心を悪用する危険なカルト集団そのものだ。こんなよこしまな支援を受けて当選した政治家たちは胸を張れまい。ましてや自分たちが属する会派の長が復讐の凶弾に倒れた。このことをどう考えるのか。あいまいで済むものではない。
権力と宗教の癒着は過去数千年きりがない。ユダヤ、キリスト、イスラム、タリバン、仏教…21世紀になっても偏見と恨みの連鎖が止まらない。
日本の政治家もプーチンとロシア正教をわらえない。
まったく腹立たしくてやり場がない。
そしたら、鳥居の向こうから声が聞こえた。
「気にすんなよ。世界なんて、もともと狂ってんだから…」
なるほどね。
結局きょうもあしたも「神さま仏さま」って自分をごまかすのだろう。
2022.07.23(土曜)
その責任は我にあり
夕刊1面トップで「『自分だけ核使う資格』大馬鹿プーチン」と切り捨てた美輪明宏氏に拍手(もう87歳なんだ)。
翌朝
「元首相の国葬を閣議決定」の見出しに、ああそうですか。拙速な判断にがっかり。せっかくの同情も批判に転じる時代錯誤の愚策。
こんな川柳があった。
「四回目の腕も印籠にはならぬ」バイデン
「もう誰も言わぬ 収束したらとは」
武漢型ワクチンは感染予防には効果なく、いつの間にか「重症化予防です」と言い変わる。早くも五度目追加接種が検討されている。人類初のmRNAを安全だと宣言したのはファウチ氏か厚労省か?
不都合な可能性を排除し、小さな出来事に無頓着でいれば道を誤る。
専制と混沌のプロパガンダ…責任の所在はうやむや…
人を嗤う国境なきコロナは、何かを教えているのではないか。
2022.07.21(木曜)
夏休み
先週の戻り梅雨で渇いた川も水量はすっかり回復、よどみに繁茂していた緑藻も大雨で流され元通り透明な流れになった。
猛暑も、渇きも、降りすぎも、よろしくない。
ひさびさにすっきり晴れたきのうは夏休みの終業式。帰り道の小学生たちが天然プールになった砂防堰でキャーキャー水遊びしていた。
豊中市を流れる千里川、見た目きれいだが、あまり清潔とは言い難い。それでもへっちゃら、パンツ1枚で潜って泳ぐ子、服を着たまま網を振り回してビショビショの子、セミ取りがいつの間にか魚取りをやっている。みんな元気だ。そういえば自分も昔は同じようなことをしていたか…
きょうから学校はお休み、まもなく二度目の梅雨が明けると入道雲が立ち上る暑い8月がやって来る。
遊びをせんとや生まれけん…「感染最多15万人」もどこ吹く風、子供たちが自然の中で元気に遊べば遊ぶほどに「ただの風邪」に静まってゆくことを願う。
2022.07.12(火曜)
雷雨と夢
ブルーススプリングスティーンを聴きながら口笛を吹いたら、コロナが流行る前にマラリアで死んだ友人が笑って言った。
「大自然に飲みこまれて本望だよ」
命の泡がプチンとはじけて元に戻っただけだと。アフリカの星空が好きだった。
「良かったな」
戻り梅雨の雨雲を見上げ、やっと海につながっただろうあの渇いた川を思いだした。
魚たちはきっと喜んでいるだろう。
2022.07.09(土曜)
事実を知ることの怖さ
街頭演説で撃たれて死ぬ…アメリカじゃないウクライナでもない、自分の国で元首相が…
心のうちには多くの「なぜ?」が湧いて、さまようだけで答えはない。ただ、怒り、悔しさ悲しみの感情だけが行き着く先のないまま心をさまよう。
歩いたことのある街の風景が凶行に染まった。テレビでは何度も動画が流れ、新聞は一部始終をつぶさに語る。
戦争報道がやまぬ日々に追い打ちをかけるようなむごたらしい暴力の行使、その事実を子供から大人まで本人の意思にかかわらず誰もが目にする。見たくも聞きたくもない出来事が否応なく迫って来る。意味の分からぬ不吉な事々が降り積もり得体のしれない不安に心が窒息する。ある意味、残酷な時代だ。
いいことも悪いこともほどほどに平凡な時間が過ぎる、それが自分の日常だと信じている。
ただそれは自分には見えず聞こえないだけで、人が暮らす街のどこかで常に暴力が行われている。それが世界の本当の姿なのだろう。
三面記事と国際ニュースには虐待といじめ、貧困と飢餓、ジェノサイドのキーワードが溢れ、毎日毎日、事実を知ることの怖さに晒されている。情けないがそれが真実だ。
一方で、誰もが「最も大事なこと」に気付いているはずだ。
生命の多様性が地球を支えてきたように「価値の多様性と寛容、そして協調と利他の精神」が今こそ必要だということを。
利己主義、原理主義、権威主義に苦しめられてきたこと。
見ざる言わざる聞かざるではこの先、滅ぶしかない。
誰かに何かを伝えなければ何も変わらない。
次の時代のためにいま生きている者の責任だと思う。
2022.06.30(木曜)
水のない川
池田の最高気温がついに35度に到達。久々に箕面川をのぞいてみたら猪名川に合流する手前1キロはまったく干上がり、水のない川になっていた。数少ない湧水池はよどみ、緑藻や浮き草で水質は見るからに悪そうだが、2㎝ほどのオイカワの幼魚が何匹も泳いでいる。周りは雑草が繁茂して窒息しそうに暑い。箕面の滝もさぞ細っていることだろう。
このまま晴天が続くと魚や鳥もみんな死んでしまう。昔むかし干ばつの時に勝尾寺の高僧が加持祈祷で雨を降らせたとか。その勝尾寺の東西斜面を水源とする千里川と箕面川、どちらも水量が激減して生態系が死にかけている。本気で雨ごいしなくちゃ…。
2022.06.15(水曜)
1249歳のまおちゃん
きょうは佐伯真魚(まお)ちゃんの誕生日。近所の子供ではなくて1248年前に生まれた赤ちゃんはその後、空海=弘法大師と呼ばれている。最も信頼する友人でもあり大先輩だ。真言宗の門徒ではないので特に神格化はしないし、信仰しているのでもない。一人の尊敬する学者だ。「恐れ多くもあつかましい」のそしりは免れまい。
世間にはいろいろ神仏はおられるが、現生を否定し禁欲的で忍従を強いるタイプは自分には向かない。
真魚ちゃんは宇宙全体を唯一の仏性と観じ、そのかけらである人間にも仏性があって、欲望もまたしかり「無垢なる知」を浄化することによって「荘厳な調和」に至るという。
生命原理を否定せず、ほんとにポジティブだと思う。言語、法律、制度、土木、薬、芸術…博覧強記の大天才・真魚(まお)ちゃん。
キリストやマホメット、釈迦のような神仏はだいたいはるか遠く次元の違う存在だが、真魚ちゃんは常にそばにいる。
高野山では今も2回の食事がでる。数えで1249歳。等身大の生身の人間として身近に感じている。
2022.06.14(火曜)
心配しても始まらぬ
「住みづらくなったらいつでも帰っておいで」
「うん、攻めて来る前にね。じゃあまた、元気で」と娘は雨の大阪から、雨上がりの沖縄に帰って行った。
海が好きでR大学時代から沖縄に住みついてもう10年。米軍基地が近くにある。都会を離れ飄々と青春を楽しむ姿を頼もしく思ってきたが、まさかこんな時代が来るとは…
北のミサイルは常態化し、露中の爆撃機、艦船の示威行動は南西諸島をかすめる。万が一、中台有事でバイデンの言葉通り米国が行動するなら標的になりかねない。
かなたのウクライナ侵攻はもう111日目。世界は戦争に慣れてきているように見える。無関心の広がりはプーチンの狙い通り。そして習近平は頃合いを見計らっている。砲弾が及ばなくとも危険は隅々に満ちている。これほど人類は未成熟だったのかと悲しくなる。
いつの間にか娘はすっかりオトナになっていたが、頭の中では今も末っ子。いつも片隅で心配している。
2022.06.13(月曜)
サフランモドキ(写真)
「もどき」と呼ばれてうれしいはずはない。確かにサフランに似ているがれっきとした品種なんだから立派な名前を付けてやればいいのに。学名は「Zephyranthes carinata」、別名レインリリーだとか。
いつから庭に咲きだしたのか全く記憶がない。軒下なのにたくさん水をやったせいかきのう一気に開花した。梅雨入り後に咲くのが普通だとか。まあきれいな花はフライングもよし。
それにしても世界にはあちこち「皇帝モドキ」が咲いている。プーチン、近平、ジョンウン…こういう外来種は真っ先に除草したい。やっぱり根には毒がある。
2022.06.03(金曜)
亡母が25年前に植えたアマリリス
4月に花屋の店先に鉢植えのアマリリスが売られていた。手のひらほどもある4つの大輪が今にも咲きそう。値札は1200円。「へ~こんなにするんだ」。数日後に見ると800円になっていた。赤い口紅の女優を思わせる豪華な姿だが、数日で萎れてしまうので値下がりも早いのだろう。
我が家にも同じ色のアマリリスが咲いた(写真)。昨年の写真データを見ると5月26日。まるで時期が違う。「何か細工があるのでは」と思い、ハタと気づいた。お店の鉢植えには球根から花茎だけが伸びて葉っぱがない。一方、自宅庭では葉っぱばかりが旺盛で花茎は1本もない。で、また思い出した。昨年も4月の終わりころに草刈で根こそぎ刈り取り、そのあと立派な大輪が開花したのでかえって目立ったのだ。
そこで今年も伸び放題だった葉っぱをさっぱり刈り上げてみた。すると案の定、切り口から新たな葉っぱが伸びはじめ、しばらくするとあちこち花茎が顔を出し始めた。花茎は7本。数日ごとにそれぞれ4輪開花するので、今年は28輪の大輪が楽しめる。
そもそも20年以上前に亡くなった母親が植えたものだと思うが、いつの間にこんなにたくさん繁殖していたのか、我ながらぼ~っと生きてきたのだと反省している。
2022.05.06(金曜)
新しい友達
住宅街の一角に小さな児童公園がある。周りはフェンスで囲まれ入り口は一つ。脇にカラフルな犬小屋がぽつんと立ち、その前で太った三毛猫(実は茶トラ)が寝そべっている。近づいても動じない。白いおなか出して寝たままだ(写真)。「気に入った」肝が据わっている。
出会って2ヶ月、公園を覗くと決まって夕方にはいる。母子連れや子供たちがしばしば撫でている。キャットフード与える人には甘える。なかなかの八方美人である。
小屋を掃除するおばあさんに聞くと、子猫でもらわれた時から家には居着かず必ずこの公園に戻って来る。なので仕方なく犬小屋を置いたんだそうだ。名前は「ラッキー」。近所のアイドルだと散歩する人も言う。トイプードルなど相手にならない。愛想がいいブタ猫なのだ。
最近は顔を見ると「ニャ~」と挨拶してくれる。ヒザに乗ってくることもある。重い。友達だと認めてくれたようだ。まさにラッキ~だ。
2022.05.01(日曜)
二度あることは三度ある
きのうまた財布を拾った。2月6日と3月11日そして4月30日で3度目。毎月一つずつ財布を拾ったことになる。
池の水ぎわ一面に黄色のショウブが咲く土手道。落とし主は花に見とれてぼんやりしていたのだろうか…
届け出た近所の駅前交番はやっぱり無人。なので、奥の机上にメモ書き添えて置くことにした。先の2回で警察官の事務手続きに1時間かかったので、今回はもう御免だ。
まさか交番がネコババしないだろうし、置き引きする馬鹿者もいないだろう。
我ながら不思議。物欲しげに下向いて歩いているわけではない。それにしても三月で3度は多い。
コロナ禍でウツロになった人が増えたのかなあ。
「人の振り見て我が振り直せ」教訓とする。
2022.04.14(木曜)
雑草むしりで筋肉痛
この季節、草木の伸びが速い。
月曜日には堅いツボミに見えたハナミズキが火曜日にはあちこち一斉に咲き始めた。近くにはピンク種、少し歩いた並木通りはホワイト種、それぞれ両手を天に開いた姿で花を咲かせている。翌日には呼応するようにそろって5分咲き。地蔵堂のフジ棚は火曜日にはまだ蕾だったのに水曜日にはブドウのような房になって白い花々を咲かせた。我が家では紫のモクレンと黄色いミニチューリップが花盛り。
サクラが散るとあとを追って他の草花も競うように成長する。日に日に伸びる花は喜ばしい。が、雑草はよろしくない。
我が家の雑草たちもあっという間に伸びた。中にはまるで低木ほどに茎の太った草もある。たぶん外来種だろう。この種の繁茂は目に余る。むしろ不気味でもある。これから虫が増えるのも厄介。
というわけで雨が降る前に、雑草と害虫の駆除。
刈るのではなく、できるだけ根から引き抜く。これがタイヘン。
熊手のような鉄具で少し掘りながら根元をつまんで引き抜く。根は案外深い。上だけ摘んだのでは数日でまた生える。だから丹念に掘っては摘んで引き抜く。3時間繰り返して、やっと半分。
狭い庭なのに、隅から隅まで片付けるのに二日かかった。軍手は二つ穴があき、腰も太もももガクガク。何より腕の筋肉が痛い。
とは言え、チラホラ咲き始めたツツジがあと数日で満開になる。足元の雑草がなくなり、ピンクの花盛りがぽっかり際立つと思う。
この苦労は「はなよりほかに知る人ぞなし…」か。
2022.04.10(日曜)
リベンジ花見
七分咲きの報を聴き金曜日、思い立って吉野を歩いた。18年の4月以来、コロナ騒動を挟み4年ぶりになる。
近鉄の特急券は終日完売。平日なら大丈夫と思ったら大間違い。急行しかない。古市駅からは各駅停車…。吉野の二駅手前の大和上市駅で降り立ったのは自分独り、すでに9時50分。自宅を出てからほぼ3時間、やはり遠い。そこから吉野川左岸を徒歩で遡り聖武天皇の離宮・宮滝まで90分。柴橋を渡り「夢のわだ」という瑠璃色の河面がなつかしい。やっと吉野に来た実感がする。そこから吉野山を北に流れ下る喜佐谷川を辿る。桜木神社を左手に山道を登ることさらに90分。ようやく着いた。(写真)
狭い林道から一気に視界が広がる。上千本から北西側に中千本、蔵王堂を見下ろし、さらに遠くには金剛山の峰が霞む。快晴。眼下はほぼ全山満開のパノラマ。「来た甲斐があった」としみじみ思う。吉野川沿いで出合った酒蔵のヤタガラスをちびちび飲みながら独りリベンジ花見。疲れが吹き飛んだ。
2022.03.11(金曜)
イヌも歩けば財布にあたる。
また財布を拾った。先月にも拾ったばかり。
今度は近所の地蔵堂の香炉の前に置き忘れらしい。そのまま置いておけば戻ってくる? いや、ダレが持っていくか分からない。
しばらくベンチで待っていたらお婆ちゃんがお堂を掃除にやって来た。
「これ?」「さあ?」「預かってくれますか?」「そりゃあ、交番に届けたほうが…」まあそうだ。
先月も交番の手続きで1時間かかった。あの時は落とし主の学生が飛び込んできたが、今回は誰も来なかった。
クレジットカードやキャッシュカードなど何もかも入ったまま。財布にあった診察券から高齢の女性らしいことは分かった。
警官に「その医院からご本人に連絡してもらえばすぐに分かりますよ。お礼も何も不要ですが持ち主に返ったかどうかだけは知らせてほしい」そうお願いした。
やっぱり1時間かかった。
2022.02.06(日曜)
財布拾って大迷惑
きのうウオーキングの途中で「おやっ落とし物」。お財布だ。こりゃ届けるしかない。
線路を渡った先に交番がある。行ってみると電気はついているが無人。呼び鈴押しても出てこない。落とし主はさぞ困っているだろうが、こちらも持ったまま、困った。
しばらく後で行ったがやはり警官は居ない。で、交番内の電話で問い合わせると、5分でやって来た。
「近所で事件があって皆出払ってまして、すみません」そんなことどうでもいい。「落とし物届けたから、あとはよろしく」と言ったら、ちょっと待って「書類を作りますんで。決まりですから」。「…しゃあない…」
奥からパソコンもってきてON。財布の中身を一点一点すべて確認しながら籠に入れて数を数える。免許証、カギ、カード、紙幣、じゃらじゃら小銭が出てきた。H大学の学生証から身元は分かった。
「いつどこで拾得しましたか?」「住所氏名は?電話番号?」財布の中身もすべてパソコンで打ち込む。これが遅い。いちいちマニュアルを参照している。入力よりマニュアル読んでいる時間の方が長いのだ。
「お礼も何もいらないから…」と言いかけたころ若者がやって来た。机に広がった財布を見て「落とし物…その、財布です」。
それで、今度はその学生への質問あれこれ。「下宿のカギがなくて」気が付いたらしい。
「じゃあこれで」帰ろうとしたが、「待って待って、もうちょっと」書類に署名する決まりだそうだ。
結局、一時間以上手間取ってやっと「釈放」されたが、交番から出る時に警官は「ご苦労様でした」と言ったが、落とし主の学生はスマホを覗き込んだまま。こやつ学校で何習ってるんだ!?
「ああ、こんな若造のために」こちらはウオーキングも断念して、いい迷惑だ。
2022.02.02(水曜)
時代は戻らない
15年ほど前、キタ新地の「デュアーズ」というバーでよく一杯やった。狭い階段を下りた地下にある古いつくりでイギリスのウヰスキー専門店。
バーテンダーが年季の入ったライカで撮ったモノクロの常連客アルバムには当時の上司F氏と並んだ自分の姿が映っていた。前のページには同じカウンター席で石原慎太郎氏の写真もあって、へ~あの「暴走オヤジ」も来てたんだ、こんな男が社長だったらやってられんなと上司と二人で笑った。既に平成の世ではあったが、その店には昭和がそのまま残っていた。
昨日の訃報でテレビ、新聞各社は石原氏の足跡を伝えている。長所短所、好き嫌いのレンジが広く、それでも思う存分自己流を通すことができた数少ないひと。ある意味、昭和の時代が生んだ傑物なのだと思う。
あれから数年後にF氏は突然死し、その数年後にはバーも姿を消した。街の姿も世の中も、昭和平成とはすっかり変わってしまった。
去ってゆくヒトの冥福を祈る。
2022.01.23(日曜)
芸術と科学
おもしろいコラムがあった。
「溺れる二人、アインシュタインとピカソ。助けられるのは一人。どちらを助けるか」二者択一でこう問われると戸惑う。
科学の徒ならアインシュタインと答えそうだが、意外にそうとも限らないという。その解説では科学は自然界を数学的に理解するだけだが、芸術は心がとらえた自然を新たに創造し、未来に共感を与えるからだという。とはいっても、多くのテクノロジーが便利な現代社会を支えているのも事実だ。
しかし今や気候変動や新型ウイルスに追い立てられ、かたや核弾頭の極超音速ミサイル競争に他国侵攻の危機…これらはすべて行き過ぎたテクノロジーの産物だという思いが、芸術を生む人の心そのものを救いたいという苦肉の答えなのだろう。
だが二人とも救いたいのが人情。
芸術と科学の心がテクノロジーの暴走をコントロールしてこそ、本来の文化文明だ。
こんな問いの成り立たないダビンチやミケランジェロが生きた500年前と比べて、いかに現在が危機的状況なのかと思いいたる。
2022.01.20(木曜)
腰痛爆発
しまった!
これだけ気を付けていたのにギックリ腰。痛み爆発は3年ぶり。油断したか。しかし何を反省すべきかも分からない。
昨日、シューズのワイアーに手をかけた瞬間、腰にピキッときた。まぁ大丈夫だろうとそのままウオーキング。案の定、翌朝悪化していた。運動もストレッチも欠かさなかったのに、何をかいわんや。
思い当たるのは「大寒」。低い気温に腸腰筋がついてこなかったのか。やや体重増。「便秘気味」もあるかも…「はらざらえ」も吞んだ。後は待つしかない。
トンガの火山爆発。
日本でオミクロン爆発。
なんだかガッカリしている。
さきほどコロナ7日動態変化を集計。日本の感染者数は2週比27.5倍で2週連続の二けた爆発。次週がピークアウトのタイミングではないかと期待している。ブラジルが爆発2週目。インドはピークアウトか。世界平均値もピークアウトに見える。
オミクロン報告があった昨年11月以降の世界の死亡率は1週間で「0.75%→0.63%」、日本は「0.21%→0.07%」にさらに低下。公衆衛生上あまり楽観論を語るわけにもいかないが、国内でも規制緩和の声が徐々に大きくなってきた。とにかく重傷者を救う。ここが正念場か。
感染累計たった1人のトンガに救援するのも要注意。
何事も油断してはいけないようだ。
2022.01.10(月曜)
今宮戎神社の十日えびす
天王寺の露路で幼少期を過ごしたのに「今宮戎」は一度も行ったことがない。
暇だし行ってみるか、さてどこにあるのか。ググってみると、へ~なるほど。大黒さまの名の通り地下鉄「大国町」。
この駅利用するのは初めて。地上に出ても人はまばら、さすがにコロナ事情、と思って見回すと遠くに笹もって歩く人がチラホラいる。
青々した飾りのつるした笹もって歩く人は帰りの人。枯れた笹もって歩く人はこれから行く人。その方向に歩いてゆくと、だんだん人が多くなってきた。カドを曲がると急に人が増え、聞えてきた。
「商売繁盛で笹もってこい♪~」あのなじみ深い掛け声がスピーカーで連呼。
南の石鳥居と東の提灯鳥居が一方通行の入口。四方八方からヒトの流れが吸い込まれ、境内はいきなり「蜜」状態だ。本殿に参拝して笹をもらうのに大行列。警備員と警官が周囲を固め、テレビカメラや取材人が福娘や宮司にインタビュー。屋根の上にもカメラマンがいる。小判や米俵のお飾り求めて、押すな押すなのひしめき合い。「商売繁盛で笹もってこい♪」の連呼に誘われ、頭上にかざした笹の原っぱが北へ北へとのろのろ流れる。
まさに祭だ。少し離れた商店街は自粛で閑散としているのに、ここだけは別世界。やっぱりいつの世も「商売繁盛」の神頼みなのだ。
しかし、えべっさんみたいな都合のいい神さまは世界にいらっしゃるのだろうか。キリストやマホメットが見たら「現金なヤツ。自分勝手」と叱られるかもしれないが、日本には八百万の神さまがいる。そのたくさんの神さまに守ってもらう独特の風俗が、忍耐強い日本人の心を支えているような気もする。
帰りに「大国主神社」も参拝。後で知ったが「大国主とえびすは親子」という説があり、両方詣でるのが作法ともいう。後先逆になったが、まあ結果オーライとしておこう。
2022.01.01(土曜)
「あけましておめでとうございます」
沖縄に住んでいる娘から「抗原検査陰性だったから午後の飛行機で帰阪」との連絡。2年ぶりの里帰り。陽性ならまた延期になるからラッキーというべきか。
誰にとっても新しい良い年の始まりでありますように。
2021.12.31(金曜)
煩悩もほどほど
「108つの煩悩」…そんなにたくさんあるだろうか。
「四苦八苦で4×9+8×9=108」はなんだかこじつけっぽい。
悩み、苦み、欲望、怒り、妬み、恨み…自問自答してみた。
たまに悩むこともあるが、大したことではないし、大それた悩みはそもそも持たない。晴れなければ忘れる。根が楽天的なのだ。
腰痛や首痛はウオーキングや適度な運動で、この二年は出なかった。デルタも軽症で治った。我ながらアッパレ。
欲望…は正直言えば少々ある。飲酒、喫煙、食欲はほどほどに。欲しいものはささやかに。したいことは、こっそりと。
テレビ新聞のニュースで「そんなアホな」という怒りはあるが、身の回りでは怒らない。怒ればだいたい損をする。
お金持ちとの格差はあれど妬んでも仕方ない。恨みなんてまるでない。
う~ん、まあ結局そこそこ煩悩は残っているが、108つはなさそうだ。それが普通だろう。閻魔大王のお裁きがあれば叱られそうだが、しばらく逝く気はない。ほどほどに幸せな2021年だった。
遠くで除夜の鐘を聞きながら2022年の新年を迎える。
2021.12.27(月)
大雪お見舞い
あさ庭の水甕に氷が張っていた。昨冬がどうだったか覚えていないが、久々に空気がピシッと感じられた。なのにサクラは6輪咲いている。この寒波が緩むともっと咲いてしまうのではないか。まだ年明け前なのに、梅より早い。フライングだ。「春よ早く来い」という吉兆かもしれない。
と、のんきなことを思っていたら、なんと滋賀と兵庫は記録的大雪で、名古屋でも積雪したと聞く。北日本から山陰にかけて明日にかけてまだ大雪のおそれがあるらしい。雪かきなどした記憶がないけれど、豪雪地帯はさぞご苦労が多いことだろう。お見舞い申し上げる。
この辺りは大阪空港に近い池田市。昨夜からチラホラ粉雪が舞っていたが、きょうもおおむね晴れ。さすがにウオーキング中は指先が冷たかった。
窓辺のカトレアは、開花した2輪が21日目もしっかり咲いている。我が家の記録更新中。先の1輪は18日で茎が折れてその後ワイングラスで1週間色を保っていたが、今はすっかり茶色に変色してしまった。それでも2輪が同じ茶色に枯れるまで傍においてやるつもりだ。
2021.12.24(金曜)
雪 降るかな
寒波が来るらしい。初雪が見られるかもしれない。そういえば大阪北部でも積雪はあったが、もう随分前になる。
雪の季節になると滋賀県の比良山スキー場まで車を飛ばし、意外にサラサラしたパウダースノーを滑った感触は今でも鮮明に覚えている。かつては近場でもいい雪が降ったのだ。
学生だった頃は毎年スキーに行くのが冬の楽しみ。短いスキー板が流行り出した頃で、ビディングや靴も次々新製品が出て、下手くそでも滑りやすくなっていた。熊の湯や白馬、栂池などに遠征。横手山の頂上から遥か彼方に富士山頂を見つけた時には感動した。
でもあれ以来、スキーに行ったことはない。少ない休みに弾丸ツアーするほど熱心ではなかったし、そもそも余裕もなかった。
今頃やっと時間ができたけれど、今度は筋力や体力に自信がなくなった。せいぜいロッジのバルコニーで雪景色見ながらお酒を飲むか、温泉につかるのが関の山だろう。
比良山のあのロープウエーは2004年に廃止されたらしい。雪が積もらないのだからしようがない。
クリスマス 夢はゲレンデを駆け巡る…かなぁ。
2021.12.21(火曜)
音楽の捧げもの
若くして逝った人たちのことを想う。
どんな青春を生き、これから何を夢見ていたのか、今はもう分からない。
少なくとも、それぞれの御両親より長く生きて欲しかった。
見知った方は誰もいないが、いつかどこかですれ違ったかもしれない。
行き場のない悲哀が空で共振している。
悼む想いが言葉にならない。
昨夜耳にした曲が、どうか彼ら彼女らの魂を鎮めることを願う。
モーツアルト「Ave Verum Corpus」
ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
そして映画ディアハンターのテーマ「Cavatina」
カトレアが一輪色あせ萎れたが、あとに咲いた二輪はまだ活き活き咲いている。
また来年には新たな花が開く。
あるがままに。
2021.12.18(土曜)
曾根崎ビル火災
今年も残すところ2週間。まるで「なかった」かのような一年、いや2年になる。
この季節、いつもならキタ新地を呑み歩いたものだが、行けなくなって、ついに行かなくなった。波が収まると、もういいかなと幾度か思ったが、そのたびにまた波が来た。なじみの店はどうしているかと案じていた矢先に曾根崎のビル火災。大惨事だ。被害者には深く哀悼を捧げる。
暗い世相にまた暗さをそそぐ。そんな社会の闇の底にはそれぞれの心の闇があって、のぞき込むと底がない。引き込まれないように、光を見上げる。
またそのうちあの街に呑みに行こうと思う。
2021.12.16(木曜)
いずこも同じ冬の溜息
昨日、市役所に行ってきた。マイナンバーカード更新手続きは着席して15分で済んだ。待ち時間ゼロ、更新する人は他に誰もいない。係りの女性の案内に従って、メモ見ながら暗証番号をタッチパネルで入力。確認。証明番号も同じく入力。確認。最後にカードのコピーを録られてお終い。このためだけに行き帰り1時間。ついでにアチコチ歩き回って結局一日潰れた。
まあ、趣味のアナログは嫌いではないが、好きでもない作業はデジタルでリモート化してもらいたい。無駄な1時間でも国全体では1億時間が無駄になる。お役所だって2500万時間余計にかかる。時給に換算したらこの一事で1000億円の仕事量。なんと非生産的なことか。
しゃあないなと帰宅して夕刊見たら「国交省の統計書き換え」発覚がトップ記事。テレビでは「森友問題で自死した元職員への賠償責任を国が認め、訴訟は終了」とのニュース。情報の誤魔化しと、責任にふたして終わり。どっちもアカンでしょ。原告の赤木さん悔しいよね。
厚労省、防衛相、財務省、国交省…情報の誤魔化しと隠ぺい体質は何度も何年も繰り返し表沙汰になる。これではどんな顔して他国を批判できるんだろう。
「嫌んなった~、もうだめさ~」つい古~い憂歌団の歌詞が口を突いて出た。
これでは次の世代に申し訳ない。だから
「腐んのは止めとこ~、日の目を見るかも、こんな俺だって~」と希望をつないでも、そこはかとなく空しい。
2021.12.14(火曜)
DXの夜明けは遠いお役所
今朝は一段と寒い。なのにサクラが4輪咲いている。どこかちぐはぐ。
マイナンバーカード更新手続きの書状が届いた。有効期限があるので市役所に来なさいという。
リモートではできないらしい。本人が行くか誰かに委任するか。さらに暗証番号(6~16ケタ)と電子証明番号(4ケタ)が必要。アタマ悪いのにそんな桁数覚えちゃいない。だからメモ持ってきなさい、と親切な但し書きもある。いずれにしてもアナログなのだ。
事務処理の簡便化が目的だったはず。なのにコロナ検査でも給付金、ワクチン接種でも役に立たず。デジタル庁は燦然と輝いているだけで手書きのお役所仕事は相変わらずお元気なご様子。
「持続可能な世界」ってお役所の世界だったのだ。
2021.12.13(月曜)
巨大竜巻
つむじ風は見たことあるが、竜巻という大きなものはニュース以外で見たことはない。
今回のケンタッキーの巨大竜巻は、国内の竜巻とはスケールが違う。壊滅した街の現場映像を見るにつけ呆然とする。そこの住民たち誰もが、長年住み慣れた家を吹き飛ばされ、すべてを失ったのだ。まさか、自分が、自分の街が…悲嘆にくれる心境を思うと胸が潰れる。大陸の広大な大気現象がエネルギー規模を増幅させたのだろう。
東日本大震災の大津波もすさまじかった。が、これは水ではなく風が起こす災害。台風やハリケーンの数倍の突風が回転して何度も襲って来るのだ。
ひと事ではない。
地球の大気が怒っている。
2021.12.10(金曜)
wirelessスピーカーでお散歩
幼年期より音楽は生活に欠かせない。出かける時はwirelessイヤホンを愛用してきたが、最近は歩きと自転車が多くなり、いつしかコンパクトなwirelessスピーカーを携帯するようになった。イヤホンは高音質だが、周囲の音が聞こえない。実はそこが危ないのだ。
近年プリウスやリーフなど自動車の電動化が進みエンジン音が聞こえない。間近に迫って初めて気付くことが多い。ましてや歩行者に突っ込む事故も頻発。まさに周囲の異常を聞き分けねば身の安全が守れない。
そんなわけで、wirelessスピーカーを100円ショップで買った。100円ショップは何でもあるのだ!? 昨年は500円だったが、先日は進化版が1000円になっていた。これがバカにできない。よくできている。BoseやUEboomの音質には及ばないが、機能は同じ(価格は20分の1以下)。タバコの箱よりちょっと大きいが軽くて嵩張らないから、お散歩や小旅行なら十分いける。
とは言え電車内ではやっぱりイヤホンでなきゃ困る。
2012.12.08(水曜)
三輪咲いたカトレア
最初の一輪が開きだしたのは2週間前。追いかけて二輪が今朝咲き、美人三姉妹がそろって微笑んでいる。カトレアの命は長いのだ。そして香りは姉が一番香り立つ、時間がたつほど濃厚になる。いやぁ、あっぱれな姿。これから一ヶ月は室内が華やぐだろう。
2021.12.06(月曜)
箕面の紅葉、家ではサクラ
そろそろ紅葉も終わりかと思い一月ぶりに箕面を歩いた。あいにく曇り空だったが、谷と木々の陰影の中に赤、朱、黄、浅緑のグラデーションが広がる景色(写真)に出会うとやはり出かけてよかったと思う。人の少ない西江寺の山道から辿り、滝を上から眺めて川沿いに下る3時間ほどの行程。滝道の人出はほぼ回復し、外国人観光客もチラホラ。2018年の台風で被災した瀧安寺も復興。ここ1年は閉じていた飲食店や土産物店にも明かりが灯りコロナ前の夕方の風景が戻ってきたようだ。
多くは無症状か軽症で死亡者がいない「オミクロン株」。もしかしたら、もう「ただの風邪」レベルになっているのじゃないか。誰もがうすうすそう感じている。それでも電車内はほぼ100%がマスク姿。やっぱり日本人の協調観念はすごいなぁ。
今朝、新聞とりに表に出たら、おやおやサクラが一輪だけ咲いている。おまけにほかのツボミも膨らみかけている。まだクリスマスも本格的な冬も来ていないのに。はたして来年の春には咲けるのだろうか。
2021.12.04(土曜)
靴修理DIY成功
先日、お店で断られたウォーキングシューズの修理、自分でやって大正解だった。思いのほか簡単でうまくいくとは思わなかった。100円ショップで買った「靴底修理材」二つ。女性用と男性用で大きさが違う。計200円ぽっきり。分厚いゴムシートが2枚ずつ入っている。まるでひよこ饅頭のようないびつな楕円形がミソで、小指側の擦り減り部分の形には男性用のものがピッタリ、かかとの擦り減り部分には女性用がピッタリ。もともとあった黒いグリップの凸凹が擦り減り、平らになった部分がちょうど修理材のカタチと同じ。まったくハサミも入れず、接着面のカバーを剥がして密着しただけでお終い。その後三日歩いても隙間なく接着しているから、もう大丈夫。あと数ミリで穴が開きそうだったのが、これでまた1年延命できたと思う。
過去、靴擦れやマメで苦しんできたが、3年前に出会ったmont.bellのワイヤー式ウォーキングシューズがベストチョイス。先週同じものを色違いで購入し履き替えようと思っていたが、2000㌔歩いてきた愛靴が修理できたので独りささやかに喜んでいる。
2021.12.03(金曜)
相次ぐ震度5弱
「日本列島沈没」TVドラマが新バージョンで放映されている最中、また地震が相次いで、ドキリとした。
今朝未明から早朝にかけて山梨で三度、その3時間後に和歌山で震度5弱。まさか日本が沈没するわけはないが、やはり気持ちよくない。基本、地面は動いて欲しくない。
大陸から日本列島が分かれて形成されたという地球物理の話では、数千万年かけてプレートが活動した結果だから、あす来年というタイムスケールで造山活動が起きる訳はない。だからおびえる必要はないにしても、数百年周期で起こってきた東南海地震がいよいよ迫ってきているということは間違いない。古い石碑にも「過去あった災害を伝えきれずにまた被害が出た。だから今後は忘れぬようにここに記す」というのがある。東日本大震災の後は、防災準備やら避難グッズの装備やらあれこれ心構えについて報道されたが、いつしか時間とともに「まさかの準備」は忘れ…そんな折に突然あの山が噴火。しばらくしてこちらで震度5、あちらでもまた…こうして日が過ぎてゆく。…そしてある日がくる。だから何かできることからやっておくにこしたことはない。
そういえば我が家でもこの10年いろいろ手を入れてきた。少しずつだが、主要な柱間の筋交いや補強を、また窓枠、扉枠、開口部の角々に鉄骨補強を行い、あとは2~3か所残すのみになった。背の高い家具は寝室には置かず、システムキッチンや食器棚の開き戸にはすべて太いゴムでフックをかける習慣が定着している。これで命を守れる自信はないが、少なくともモノが散乱する確率は低い。
かつて阪神大震災の時には2階の自室に置いてあった240キロの大型水槽が棚から半分近くズレ動き、あと一押しであわや崩壊寸前だったこともあり、現在は水槽3台とも1階に設置している。
怖がり過ぎても、備えに切りはない。
備えあっても憂いは残る…まあこんな程度でいいかとも思っている。
2021.12.02(木曜)
日欧の感染状況、大きな違い
今週の新型コロナの動向をみると、日本とヨーロッパの差があまりに大きいことに驚かされる。
この一週間の平均1日100万人当たり感染者数は日本が0.8人に対して、ベルギーが1605人、オランダ1254人、オーストリア1192人、スイス898人、ドイツ692人…日欧のこの圧倒的な差。さらに平均1日1000万人当たり死亡者は日本が0.1人に対して、ロシアは82人、オーストリア59人、ベルギー38人、ドイツ35人、オランダ30人、米国29人…。しかし実はPCR検査数が日本は未だに少ない。
1000人当たりのPCR検査数は日本は0.3人に届かず、欧米では3~14人で10~40倍の違いがある。したがって感染数の比較をこの数字から安易に導けないと言えるが、死亡者数の違いは簡単には説明できない。
また、ヨーロッパ中央諸国の感染者増加傾向は5週間前から始まっており、実はオミクロン株の亜流は3週間以上前から拡散し始めていた可能性はないだろうか。たぶん目に見えているのはほんの一端に過ぎない。
ただ、少なくとも世界平均の死亡率は徐々に下がり続けており、新しい変異型が今後出現したとしても「弱毒化」の傾向に変わりがないことを願うばかりだ。
2021.12.01(水曜)
修理店は「できません」
もう「師走」、早い。
履きなれた靴はできれば長く使いたいのが人情、擦り切れた部分は穴が開く前に直したい。なので、近くの靴修理専門店にもって行ったら「できません」と素気無く断られた。何とか工夫だけでもやってほしいと言ったがダメ。ウォーキングシューズのすり減ったゴム底は対象外だという。プロの技を期待したが残念だ。
では、自分でやってみる。そう決心して100円ショップでいくつか材料をそろえて、目下手順を検討している。さてどうなるか。まあこれも楽しんでると言えばそうだが。
ところで、「モロコ飼育日誌」はタイトル名変更。どうやらモロコよりもオイカワという魚が大半を占めているらしい。川の小魚はみんなモロコだと思い込んでいた私がバカだった。今後サカナ君たちが大きくなればおいおい分かってくると思う。
2021.11.29(月曜)
モロコじゃなかった
きのう日曜日は何もしない日。ウオーキングシューズを買いに梅田グランフロントに出かけたが、人出はコロナ前と変わらず多くの老若男女で混雑。新たな変異株「オミクロン」が第6波にならなければいいのだが…
ところで我が家のモロコ水槽の写真でご指摘があり、目からウロコが落ちた。婚姻色鮮やかなボス魚…実は「オイカワ」という名前で、モロコとは別種だということが判明。…ということは他にも別種の魚が混在している可能性あり。三つの水槽をようく見直すと、確かに微かに色づいている子たちも居る。大きくなればもっと鮮やかになるのかも。また楽しみが出来た。
2021.11.30(火曜)
また入国制限
きょうから一ヶ月は外国人の新規入国が停止された。留学生や研修生はまたしても足止め。オミクロンと命名された変異株の正体は見えないが、後手後手に回った過去の政治判断を反省しての措置だろう、まあ妥当だとは思う。とは言え、実際にはまだ世界で百数十例の段階で、多くは軽症という情報もある。過剰反応もよろしくない。それに次々と変異する株、新発見のたびにブースター接種をしていてもきりがない。個人にとっては、これまで通りの手洗いうがい、洗顔を心掛けるほかないのではないか。それにしてもお隣の韓国では感染者数、死亡者数とも過去最多レベルが続いていることを考えると不安感も拭えない。
あたりが暗くなってきた。また雨か…
2021.11.27(土曜)
変異株の名は「オミクロン」
「南アフリカで新たな変異株検出」の報道で株価まで下がったという。調べてみると確かに南ア感染者数は週間動態変化で先週1721人が今週は4185人に増加している。最多だった4か月前の7月初週134,000人からするとまだ低いものの、ワクチン2回接種済の感染者が複数確認されており、今後の広がりと、毒性の強弱が懸念されます。
2021.11.26(金曜)
カトレアの美しさに驚嘆
開いたカトレアをまじまじ見つめたのは初めて。なるほど美しい。胡蝶蘭もいいがこれもいい。現役のころは花をめでる余裕がなかったような気もする。『散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ』ガラシアさんにも見えてきた。(その後3日間かけて花びらは全開。色彩も日に日に鮮やかに成熟して行く姿に感心させられた)
2021.11.25(木曜)
名無しのランはやっぱりカトレアだった。今朝から夕方にかけてツボミが半開きになった。たぶん明日には花びらは全開しそう。傷だらけだっただけに感慨がある。
2021.11.24(水曜)
2月初めに道端で踏まれてひしゃげていたランの株を拾ってきた。葉っぱは半分折れてペシャンコ。そこでワインのコルク栓が山のように溜まった大きめの植木鉢にコルクで包むようにして痛んだ葉っぱを支え、春からは明るい日陰に置いていた。
なかなか成長しないものだと思っていたが、先週ふと見ると広い葉っぱの付け根辺りから大きなツボミが膨らんでいる。いよいよ咲きそうな気配。最初はデンドロビウムかと思っていたが、赤紫の色が少し透けて見えるのと一輪の大きさを想像するに、どうやらカトレアのような気がしてきた。一昨日の雨で気温も下がったので明るい窓際に場所を移して観察中。いや、たぶんカトレアだろう。かつては花盛りの時にどこかに飾られていたのが、やがて花が枯れて育ててもらえず、いつしか捨てられたのだろう。拾ったときの茶色く干からびた姿が、今は濃緑に復活している。あと二三日でツボミは開きそう。よく見ると別の葉っぱにももう一つのツボミが育ちつつある。また楽しみが増えた。
2021.11.23(火曜)
きのう一日降り続いた雨も今朝は上がり爽やかだが、また一歩冬が近づいた。地球温暖化はよろしくないが寒いのも好きではない。そういえば北極の氷が解けて表層の塩分濃度が下がると深海流が滞り北半球が寒くなるという仮説があった。SF映画でも同じテーマを描いていたが、まあホントは百年千年単位の話だと分かっていても毎年季節を肌で感じるたびに何か不気味な気がしている。新型コロナと言い、脱炭素と言い、今は世界中が得体のしれない不安感に包まれみんながみんな内向きになってしまった。
科学とは躓く前の知恵にもなるが、予測不能の不安を煽る危険もはらんでいる。ここにもより多様な視点が必要なんだろうと思えてならない。
きょうは勤労感謝の日。仕事を求めて苦しんでいる若者にエールを送るとともに、老若すべての働く方々に感謝をささげます。
中国の女子テニス選手ホースイさん大丈夫でしょうか。ただただ無事を祈るばかりです。
2021.11.22(月曜)
生石神社
土日は完全休養を決め込んだ。好きなことをする。これまで独り事業していると、延々同じ作業に嵌まり込んでしまう傾向があった。自分の行動も多様性が欠かせないと反省している。
さて昨日(日曜)は「生石神社」に足を運んだ。兵庫県高砂市にある神社だが、名前(生石はオウシコと呼ぶ)も、そこに巨大石造物があることもあまり知られていない。最寄り駅はJR宝殿(ホウデン)駅。この石造物「石の宝殿」の名から採られたものだろう。(トップ2枚のパノラマ写真)
一辺6~7㍍のサイコロ状の巨岩オブジェが水面20㎝に浮かんでいる。
え~っ!?
誰が見てもビックリする。重量は推定465トン。神社がある小山全体が一かたまりの凝灰岩でその南東斜面に深さ10㍍ほど彫り込まれている。宝殿ぎりぎりに社殿が祀られているので、その奇形は正面から見えない。社殿の中央をくぐって初めて眼前に現れる。周りの彫り込みは幅2㍍ほどしかないので、背中を壁にへばりつけても全体を眺めることができない。インドの岩窟寺院に似ている。明日香村近くの「益田岩船」と同じ石工集団の作ではないか。多くの古墳に見られる凝灰岩の石棺はここから船で運ばれたともいう。社伝によると西暦97年とされているから、こここそ古代考察の入り口のような気がしてくる。
祭神は大国主尊と少彦名尊、なるほどである。
2021.11.19(金曜)
「オータニさ~ん」おめでとう! 大リーグ記者投票満票でMVP獲得なんてスッゲー!!!
久々の感動です。世界への発信力はどんな政治家や外交官より、ホントに「いい仕事してますね~」。偉業達成でも奢らず謙虚で優しい心遣い。それが自然体で出来るのですから素晴らしい。多くの意固地な年寄り世代にも、この若者に見習ってほしいくらいです。
閉塞感に包まれた今の時代、これほどさわやかな風を送ってくれたオータニさんに感謝です。
天国の古葉さんも拍手を送っているでしょう。
2021.11.18(木曜)
ドイツも韓国も新規感染者数が過去最多は気になりますね…
毎週木曜日はジョーンズホプキンス大学のHPから新型コロナ情報をエクセル集計する日。既に18ヵ月以上が経過。かつてない壮大な感染症の世界データ、とは言え国ごとに数字の背景(検査数、医療体制、規制内容、情報統制の有無)が異なるので単純比較はできないが、うすうす見えるものもある。現在10万人当たりの死亡者数は世界全体では66人。ですが、欧米各国はその2~3倍多い。アメリカは232人、イギリスは212人、イタリア220人、ベルギー228人、フランス183人。これに対して日本は14人、韓国6人、インド34人、パキスタン13人、最近急増したマレーシアでも92人とアジア圏は二桁に届かない。地域により大きな偏りがある。どうも何十年「風邪ひきさん」が多い国ほど抵抗力あるように見えませんか。
カープの元監督古葉さんもなくなりましたね。優しくて丁寧で情熱のある方でした。合掌…
2021.11.17(水曜)
北摂はきょうもいい日和。このところマスクを外して歩く人もチラホラ目にするようになった。確かに国内の新規感染者は激減したけれど、その理由はさっぱりわからない。専門家はワクチン効果だというが、そんなに単純だろうか。お隣の韓国は同様の接種率でも増加しているし、反対に接種率が3%程度のナイジェリアでは日本と同じように減少しつつある。まだまだ分からい事だらけ。もっと多様な因子に目を向ける必要がありそう。来週にも冷え込みがやってくるとまた感染が増えるかも。でも考えてみれば風邪も同じ。結局しっかり食べてよく眠ることが一番ですね。「モルヌピラビル」「パクスロビド」舌を噛みそうな名前の飲み薬。救世主になればいいのだけれど。
2021.11.16(火曜)
COP26議長の苦渋の表情はそのまま地球の表情なのかもしれません。波打ち際に棲む住民と都会の高層マンションに住むお金持ちの意識は文字通り天と地ほど違う。子供たちが生きる30年後の町の姿は今生きるオトナ一人一人の意識が意図せず作り上げてしまう。すでに多くの動物を絶滅させてしまったことを思うと、いずれわが身に及ぶことは間違いない。トゥンベリさん、憤りは分かるけれど、とんがらずにもっと丁寧に共感をの輪を広げてはいかがでしょう。たとえ後戻りできなくなっても前に進むしかないのですから。
2021.11.15(月曜)
「ダチョウはアホだが役に立つ」京都府立大学 学長になった塚本氏の最新本。前作と内容が重複していてもやはり面白く感心させられる。生命力と免疫力は進化の中心課題なのでしょう。
今のBGMは野鳥の声。たまに曲間に波の音などはすがすがしい気分になりますね。
ああ今日もセッション0。何のためのHPなんだろう。
2021.11.14(日曜)雲晴9℃最低気温
朝晩寒くなった。腰痛でないか心配。HPできたが、検索に掛からないのでは意味がない。サイト認証やらSEOやらさっぱり分からない。ああ先は長そうだ。誰も見てくれないこのサイト…
2021.11.13(土曜)晴
最近知った歌手メロディーガルド―。けだるいスローバラードもアップテンポもなかなか味わい深い。そういえばこの新型コロナ期間、いろんな発見がありましたね。自分のことも、世間のことも。残念なこともいいことも。今朝の新聞、中国の歴史決議って時代錯誤じゃない習近平さん?ほとほと「ああ嫌んなった」……でもクサるのは止めましょう。楽天が一番です。
2021.11.12(金曜)晴
瀬戸内寂聴さんが亡くなった。
身内が逝ったような寂しさがある。読み込んだ作家ではなかったけれど、自然体の語り口に懐の深さがにじみ出ている祖母のような懐かしさがあった。
今日はモーツアルトのレクイエムを聴く。
合掌…
2021.11.11(木曜)冷たい雨
音楽はいいものです。毎日必ずBGMを流す。今はジェシカシンプソン。その前はショパン。次は澤野工房のジャズかな。一曲ずつランダムに。
…今週末あたり、箕面の滝道も紅葉が始まるかも…歩きに行きませんか?